閃の軌跡Ⅳの残った疑問点(ネタバレあり)

考察覚書みたいなものです。

閃の軌跡Ⅳが終わって5年前から始まった帝国編も終わりを告げましたが、THE END OF SAGAだったはずなのに語りきられていない設定内容ちらほらあるのでは?という気がして、ちょっとまとめてみることにしました。

如何せんシリーズ長いので自分の記憶から欠けている部分が多い気もしますが、そこら編は適宜指摘してもらえると助かります。

それでは。

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ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーについて

先日、ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーを見た。 色々思うところがあり頭の中だけで止めるのが難しくなったのでブログにまとめることにした。
ガンガンネタバレをしていく。

タイトルについて

まず映画が始まって一番に驚いたのがタイトル。 大きくSoloと書いてあるだけである。前評判が良くなかったこともあり、あまり調べずに劇場に行ったのだが今作もThor: Ragnarokと同様勝手な邦題がつけられたパターンなのだと悟った。
確かにタイトルが「ソロ」では広報上困るのかもしれないが、今作を通して見るとやはり主人公であるハンが「ソロ」になり、そしてEp.4の冒頭にどのように至ったかを描く作品であることがわかるのでそこは尊重して欲しかった。

個々のキャラクターについて

ハン・ソロ

非常に魅力的なキャラクターに仕上がっており、オリジナルトリロジーとの繋がりが多くの点で上手く表現されていたと思う。(ベケットを撃ち殺すシーンはEp.4で賞金稼ぎのグリードを撃ち殺すシーンとの繋がりを想起させるし他にも金のダイスとかベケットの銃の扱いとかベケットからもらう銃とか) 欲を言うのならば彼に関しては彼の父親との関係性について深い描写があるとEp.7までのベンとの確執に関して掘り下げができるのかなとも思ったが特に不満はない。
もしかしたらベケットを殺すのはハンがベンに殺されるのと関連づけているのかとも思ったが流石に考えすぎだろうか。 あ、あと苗字が決まるシーンは良かったですね。

チューバッカ

彼に関する描写が今作一の不満である。
チューバッカと言えばオリジナルトリロジーを通してハン・ソロの最も信頼できる相棒であるし、今作ではその出会いが思う存分語られるのであろうと期待していた。 ところが蓋を開けて見るとチューバッカとの出会いは檻の中で、殺されそうになるところをシリウーク語で説得してそのまま成り行きで一緒にいるだけと言うお粗末なもの。
そもそもEp.3の最後でヨーダを見送ったことからウーキーの中でもそれなりの立ち位置と思われるチューバッカが辺鄙な惑星で檻の中に入れられていることにも違和感があるし(ヨーダとの繋がりがあるのだからもう少し重要視されてもいいのではないか)、檻からの脱出以降に仲間となる理由が弱すぎるのでもう少し深く描写して欲しかった。

ランド・カルリジアンとL3-37

L3の件必要か?
別にランドはドロイド人権論者などではないし、実はクラウドシティでの側近ロボットにつながる要素があると言う訳でもないし、SWシリーズのドロイド出演ノルマを達成するために使われたとしか思えない。
それにしてはクセが強すぎるし現実世界のイデオロギーを感じさせて見ていて気持ちがよくはなかった。
ランド自身に関しては特に不満はない。海外の感想だと機械性愛者にされてるとかいう言及があったけど別にそうは感じなかった。

キーラ

正直いつ死ぬのかずっと考えてたら死ななくて驚いた。
これがミッション・インポッシブルの過去編とかだったら割とカジュアルに別離したんだろうけど、ハン・ソロは(アウトローにしては意外と)そういうキャラではないし作品の冒頭からも二人の関係性が(作品中に別れが描かれないとオリジナルトリロジーとの整合性が取れなくなる程度には)深いことが見て取れていたので別れは確実に描かれるのだろうと思っていた。
ドライデンとの対決あたりでソロをかばって死ぬのかと思いきや普通に生き残り更にソロを守るためにシンジケートの深みへと入っていくエンドになろうとはあまり予想していなかった。
悪く言ってしまえば二人の関係性の終わりまで描き切れていないので尺不足という感も否めないが、方向性を示してあとは観客の想像に任せると言う手法は作品の世界を広げるしそんなに嫌いではない。

トバイアス・ベケット

カッコいいおっさん。嫌いじゃない。
彼に関してはアウトローとしてのハン・ソロの師ということでとても魅力的なキャラクターに仕上がっていた。
ヴァラコードを習わせてあげたかった。以上。

謎のダソミア人

SWのスピンオフ作品がやたらとダース・モールを復活させようとしたがるのは正直全く好きじゃない。
過去にも上半身だけ生きてたダース・モールの話とかあったけど別に面白くはなかったし合理的でもない。そもそも一作完結の作品で使いもしない新キャラを出す意味がわからないしシスとシンジケートの繋がりを示したいのであれば適当にフードかぶったキャラクターがフォースを扱うくらいでちょうど良くてダブル=ブレード・ライトセイバーなんか持ち出して来るのは完全に余計である。

総括

全体を通して

キャラクターそれぞれの描写は上手にオリジナルトリロジーとの整合性をとっていて好感が持てた。
全体としても難しいテーマを上手にまとめたのだとは思う。
何せEp.4の前のハン・ソロを描くには「最終的に側にいるのはチューバッカのみ」という制約が強く利いて来るからだ。
今作のヒロインであるキーラや師であるベケットとは必ず作中で別れさせる必要があり、そうなると観客の裏をかくのは非常に難しくなってくる。 またソロはオリジナルトリロジーを通して大きく成長するキャラクターであるが、今作の時系列ではその成長の片鱗を見せつつもアウトローとして生きていく様を見せつけなければならない。
そういった制約を守りつつ一本の映画として緊張感を持たせて完成させることができた点に関しては素直に評価できると考えている。

自分の立ち位置について

最後の感想の前に自分のファンとしての立ち位置について触れておく。
私は大のSWファンだが、特にプリクエルトリロジーをこよなく愛していてプリクエルの世界観や人々の信念こそがこの作品の最も優れたところであると信じている。
なのでこの壮大な作品を家族だとか恋愛だとかいうチープなテーマの作品にして欲しくはなく、シークエルトリロジーに関しては割と否定的である。

スター・ウォーズ」シリーズの新作として

最後になるが、この作品を「スター・ウォーズ」の新作スピンオフ作品として見ると辛い評価をせざるを得ないことを述べておきたい。
自分の中で「スター・ウォーズ」とは何と言ってもフォースを中心概念とする正義や信念の物語なのである。だからこそローグ・ワンの評価は自分の中でとても高いのだが今回はローグ・ワンについての話は割愛する。
何もフォースを扱う人間を出せとかフォースの話をしろとか言うのではない。
人々が信念に従って生きる姿をこそ自分はこの作品に求めているのである(お情け程度にエンフィス・ネストの話があったが扱いが軽すぎる)。 もっとも、前述の通りハン・ソロ自身がオリジナルトリロジーを通してただのアウトローから成長していくキャラクターである以上非常に難しかったことは認識しているのだが(そもそも今作にかける期待値は高くなかった)、それでもローグ・ワンのように何かを見せてくれるのではないかと言う期待はついぞ満たされることがなかった。
ただそれだけが残念である。